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落合博満氏が驚愕の過去を明かした!!! [落合博満]

今、球界で最も講演会人気の高い大御所、落合博満氏が、
居並ぶ聴衆を前に驚愕の過去を明かした。
かつてのベンチ裏事情でも球界秘話でもない、
私生活にまつわる超ド級のサプライズを告白。
これも「オレ流」なのか!?

3月24日、立正大学(東京・品川区)。
600人を収容するキャンパス内のホールは満席となり、
通路に座る人たちもいる。

「マネジメントを語る」と題し、経営学部の公開講座として開催された
前中日監督・落合博満氏(59)の特別講演会は、
学生以外にも老若男女の一般聴衆が聞き入り、
時折展開される絶妙なユーモアには笑いも沸き起こった。

「集客能力は球界随一で、講演に引っ張りだこ。

ギャラのランクも最高の150万円以上で、億単位の収入があるそうです。

監督をやっている時はナゴヤドームがいっぱいにならなかったのに、
講演が常に満席というのは皮肉な話ですが」

と、スポーツ紙デスクが称賛するだけのことはあるのだ。

会場がひときわ静まり返り異様な空気に包まれたのは、
午後1時開始の講演が終盤にさしかかる頃だった。

予想外のひと言が、落合氏の口から飛び出したのだ。

「死ぬのは簡単と言うけど、死ぬのは勇気がいります。
死んだ人って勇気がないってよく言いますよね。
これは、オレは違う(と思う)。オレだってこうやって、したことありますよ」

そう話すと同時に、右手で左手首をスッと切るジェスチャーをしたのである。

聴衆がアッケにとられると間髪入れずに畳みかける。

「あるけども、オレにはザクッとやるだけのふんぎり、
勇気がなかったから、今ここにいるんだ。
あれってすごい勇気だったんだ。
その勇気をちょっと別のところに向けていけば、
何も死に急ぐなよ、おもしろい楽しいことがいっぱいあるよ、
ということを皆さんが伝えてくれれば、自殺を防いでいけるんじゃないか」

あまりにアッサリとしたもの言いに
思わず耳を疑ったが、どう聞いても「手首カットの自殺未遂」である。

ここに至るきっかけは、昨今、頻繁にニュースになるイジメ、
体罰、暴力問題に触れたことだった。

「このイジメ、体罰というのは昔からずっとあった。
だってオレの高校時代、毎日ブン殴られてたもん。
野球やるよりブン殴られてるほうが多いのかと、不登校になった」

さらに、東洋大学に進学したものの中退することになった原因にも触れ、

「集団生活の免疫がオレにはなかった。
まして秋田の田舎から出て行ってるでしょ。
当時は方言、これがものすごいネックになった。
お前、何しゃべってるかわからん、と。とてもじゃないけど
団体生活は耐えられないと思って、田舎に帰ったんです。
そこから東芝府中に入るのに2年かかったんですけどね」

「時期」には触れなかったが、はたして自殺未遂は
学生時代の失望から決断したものだったのか。

落合氏を知る球界関係者は言う。

「確かに『東洋大(野球部)はひどいんだぞ』とボヤいていた。

大学後輩の達川光男は『広島商時代、
グラウンドに固定された日本刀の上を裸足で歩かされた。

神経を集中してそーっと歩けば足裏は切れないから、と』と振り返るけど、
その達川が『当時の東洋大は高校野球よりひどかった』と言うんだから、
よほどだったんだろう。

落合さんがいた当時は、体罰やイジメに近い理不尽なシゴキがあったのでは」

だが、前出・スポーツ紙デスクは、

「プロ入り前、ボウリング時代のことだと思う」

落合氏が言う「大学中退後に田舎に帰って、
東芝府中に入るまでの2年間」のことである。

デスクが続けて説明する。

「野球の夢破れて地元・秋田のボウリング場で、
プロボウラーを目指しアルバイトをしていた時期です。
『(野球の)目標がなくなった。こんなことしてよかったのかと思っていた』と、
先が見えないつらい時代だったと漏らしたことがありました。
講演でそんなことを話すのは初めてでしょう」

プライベートな話はまずしないという落合氏には、異例すぎる衝撃告白だったのだ
http://www.asagei.com/13082



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